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第2回 1部 鉄砲屋からファスニングメーカーへ

日本最初のハンマードリルTE 17の販売開始

第2回目は、1970年代に発売された、初のエレクトロニューマチック機構を使用したハンマードリル、TE 17についてです。今回は2部作でお届けします。第2回目の1部として、当時日本ヒルティでTE 17の導入を担当されたOBの堀正和さんにお話を伺いました。

堀さんがヒルティに入社したのはいつ頃で、当時のヒルティはどうでしたか?

堀さん : 私がヒルティに入社したのは、昭和44年。1969年のことです。当時のヒルティは、ファスニングシステムといっても、鋲打機に特化したメーカーでした。そして、使われていたのが製鉄のアプリケーション(第一回参照)でした。当時ヒルティなんて名前を知っているお客様もいなくて、「ヒルティです」と言っても誰もわからない。それで、「鉄砲屋です」と言って営業に回っていました(笑)。

上記の製鉄のアプリケーション専用で10連発マガジンの鋲打機がSX335というのがありましたが、これの一般の建築用で、DX350という機種が開発されました。鋼製床下地材が体育館などに使われ始めた時代です。大量打鋲に非常に適していました。合わせて鋼製間仕切り材、軽天も開発されて市場に出始め、時は大阪万博を控え、活性が見られた時代ですね。

ヒルティがTE 17を導入することになった背景を教えていただけますか?

堀さん:当時のヒルティのメインのアプリケーションは製鉄だったわけですが、製鉄もインゴットから連続鋳造に切り替わることが分かっていました。ですので、ヒルティは真剣に建設市場に入っていくことを考えていました。鋲打機だと留付ける母材は鋼材ですが、建設物はRCもあれば、コンクリートもある。そこで留付けをするためには、ドリルが必要となったのは自然な流れだったのではないでしょうか?

そこで、もともと電気設計をやっていた私に「おい、お前電気屋やったなぁ?」と声がかかり、TE 17を売れ、という指示が出たわけです。当時のヒルティは、鋲打機ばかりを売っていたわけです。いわば、ドリルは敵だった。社内からも、「サドル留めしたら、100円になるのに、ナイロンプラグだと8円にしかならない」と反対され、孤立していました。

日本初めてのハンマードリルTE 17

日本最初のハンマードリルTE 17 

TE 17の導入を担当した堀さん

1970年代当時TE 17の導入を担当した堀正和氏

初めてTE 17を手にした時の思い出を教えてもらえますか?

堀さん:すっきりしたハンサムなやつでした。全部分解しましたよ。設計には、設計者の意志が必ず入っているのです。だから、全部分解してそれぞれの部品形状を見てどのような意味があるのか?わからなければ絵にして理解するようにしました。

 

当時TE 17が際立っていた点は何でしたか?

堀さん:エレクトロニューマチック方式により、安全で正確に作業ができるようになりました。片手で押さえつけても作業ができるので、高所作業が安全にできるようになりました。また、当時の一般的なドリルでは先端がなかなか定まらず正確な位置への穴あけが難しかったのですが、TE 17なら、ずれずに正確な位置に穴あけができ、表面が剥離しないことも大きな利点でした。

当時市場に出ていた海外製品は、故障したら、修理に1か月、2か月前は当たり前でした。だから、お客様は余分に2-3台買わなければなりませんでした。おかげで、海外のものはいいけど、修理が遅いという風潮ができてしまいました。ヒルティにも逆風です。でも、「うちは各支店に、修理センターがあります」とお伝えすることで、お客様に安心を与えました。 

TE17は初のエレクトロニューマチック方式を採用したハンマードリルとして、穴あけの方法を変えました。でも、お客様はドリルが欲しいんじゃないんです。物を留めつけたいんです。だからヒルティは、ドリルだけではなく、ドリル、アンカー、ビットのファスニングシステムを販売するメーカーになっていったのです。物を留めたいというお客様のニーズを満たすためには必要ですからね。

TE 17の販売は、鉄砲屋が総合ファスニングメーカーになるための第一歩だったと言えるでしょうね。

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